分かり合えない人とわかり合おうとする努力をやめてみる
田舎に帰る日の件で、何故か姉とケンカ。
ワタシは、束縛されたくないから、
帰る日が確定してから母に連絡するつもりだったのだが、
姉はそれが気に入らなかったらしい。
母が、あなたの帰るためにどんなに準備してるのか分かってるの?
てか、母と私の関係の中では、
『大変なことはしない』という関係性の中でだ。
横槍が入ったものだから、
非常に心地悪い。
挙句に、
5日に甥っ子たちのために豪華なゴハン作るんだから、あなたがその日に帰って来れば、
母は二度手間にならなくていいでしょ?
どうせあなたが帰ってきたら豪華ゴハンを作るんだから。
いい加減大人なんだからそんなことも分からないの?
の言葉に、
さすがのワタシもブチ切れというか、
マジで悲しくなりました。
デモ、
ここでケンカ越しになっても仕方がないので、
・考え方は、違う生活リズムできて長いんだから、違ってきて当然なこと。
・それを、あんたは間違ってる、あんたの考え方はどーかと思うと、一方的に押し付けたれても、不快でしかないということ。
・ 母がワタシが帰ってくる日を知りたかったら直接連絡してくる点
・母と私の関係性では、無理をしない点
・そもそもワタシはそれほど食べないから、いつもそんなに無理しなくて伝えている点
とメッセージを入れたら、
『ひつこい
読みません。』
と連絡あり。
ナルホド。
悲しいかな
わかり合おうとしても、
無理であるということを悟りました。
つい先日も、
ライター仲間で集まった時に、
どーしても言葉を選んでも伝えることができない人がいて、理解されないことにイラっとしながらも、これはきっと私も伝え方が悪いんだと、笑ってごめんうまく伝えられないって。
折れました。
きっと、私は自分が折れるということを
自分を曲げずに折れるということを
知らないといけない時期なのかもしれないと。
田舎に帰る電車の中で悟りました。
生きるって、ツライわ。